カコスミの沿革 3

アタラシイ過去の棲家の頃



過去の棲家サイトは物件情報が増えすぎ、webサイト作成ソフトの処理能力が限界にきていた。

前述のような事情もあり、第二サイトを作る事になった。カコスミは基本アングラサイトなので、アングラサイトの様式美

である黒を基調としたデザインにしているが、そうすると心霊サイトと勘違いされ易かった。この頃は心霊厨が寄ってきて

鬱陶しかったので、サイトのベース色を赤茶色にした。この色は歴史と伝統を象徴する色だと何処かで読んだ記憶が

あったので、「心霊じゃねえよ、歴史だよ、」という心理的効果を狙ったというのはウソで、気分的に黒に飽きたので適当に

色を変えて遊んでただけだった。



アタラシイ過去の棲家。100件まで載せようと思ってたが諸般の都合により37件で止まった。



その直前に作られていた「サホドアタラシクナイ過去の棲家」。作成機器がコモドール64だったためアップロードできずに終了した。



迷走しているうちに作られた「アザラシイ過去の棲家」。製作中に廃墟に関係がないことが判明し中止となった。





サイト名は「アタラシイ過去の棲家」とした。正式には半角カナで「アタラシイ」なのだがそんなことはどうでもいい。

この「アタラシイ」は内輪のギャグが元になっており、韓国の音楽番組で新曲の「韓国語ラップ」を紹介するおり、

よくある「ヨーメーン!」で始まらず「アンニョーン!」で始まる曲だったのだが、それを韓国人の音楽評論家が「アタラシイ!」

と評価した。別に評価するほどのものでもないのだが、自国のものを褒めずにおれず、独自の文化をほとんど持たない

韓国人にとって、オリジナルなものは貴重だったのだろう。その時の評論家の「アタラシイ!」という独特のカタカナ発言が、

サブカル好きの日本人に大ウケした。当時キチガイドライブ中のTELとpcfxは、事あるごとに「アタラシイ!」と強調しては

大笑いしていたのだった。そんでサイト名に使ったという次第。2007年の初め頃なので、ちょうど冬ソナが始まった頃か。

この頃から韓国の芸能押し売りが始まっていたのだが、我々は1990年頃の段階で李博士による「ポンチャック」で本当の

韓国芸能を体験していたため、その後の虚飾に塗れた嘘っぱちの韓国芸能などゴミクズにしか見えなかった。李博士こそ

韓国の等身大の芸能人であり、ポップスターであり、韓国人そのものの良さを体現した人物だった。気になった方は

ようつべなどで検索してみるとよい。



李博士(イ・パクサ)御大。韓国の体現者。マヌケの象徴。




さてこの頃、TELは沖縄へ遠征に出かけた。「琉球特集」と付記されているのがそれだ。せっかく沖縄まで行ったのに、

海で泳ぎもせず観光もせず、ひたすら全ての時間を費やして廃墟を求めた。pcfxだったら廃墟は適当にやっつけて

ほとんどの時間をビーチや国際通りで過ごしただろう。だがTELはちょっとおかしい人なので仕方がない。

TELのおかしい努力のおかげで、「アタラシイ過去の棲家」の目玉物件として残った。


沖縄は植物の勢いが違う。蔦も全力で絡む。側面からでも木が生える。





「アタラシイ過去の棲家」の最後の方では廃校が2つ並んでいる。この頃のTELは廃校の魅力に傾倒していた時期で、

やたらと廃校探しに時間をさくようになった。それは現在も続いている。また、TELはこの時代からカメラに凝り出した。

それまでは適当なコンデジで済ませていたのだが、デジイチを購入して撮影するようになった。

以前もっていたアナログ眼レフのレンズの都合により、TELはソニー製のデジイチを使うようになった。王道で言えば、

そこはキヤノンかニコンだろう。もうこの時点で世の中のスタンダードから外れていく。pcfxに言わせれば、写真など必要な

ものが写っててピントが合ってて暗くなければよく、後でいくらでも画像処理ソフトで味付けできるものだ。しかも我々は

芸術写真サイトではない。廃墟残留物サイトだ。腰を据えて長時間露光などしてるヒマはない。スッと進入してパパパと

撮ってサッと帰るのが信条だ。だからカコスミにとってのベストな選択は高速で起動し、フラッシュの高速連続使用ができ、

暗い所でも撮影できるといった機種だ。そこでpcfxはカシオのコンデジを推すのだが、TELは「カシオ」と聞くだけで笑って

相手にしない。このようにカコスミ内ではカメラの選定に結論は出ていない。



アタラシイ過去の棲家は、pcfxのパソコンのHDDが突然死をむかえた事で終焉した。バックアップもしてなかったので

データが全て弾け、webからのインポートも面倒だったので捨てられた。廃墟サイトの廃墟化である。








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