過去の棲家ver.ぴゅーらっくす 2012/03/07UP





物件名 HURホテル
探索日 2005年8月
廃墟開始 1999年頃
分類 宿泊施設
規模 大規模





300m先にあるといわれる幻の豪華ホテル。「ル」が小さいのが気になる。





本館・貴賓館が並ぶ瀟洒な建設。現在は既取り壊されているので、もう見ることはできない。





かつては東洋一と称えられ、GHQが接収したり天皇が食事をされたという。だが21世紀を待たずに閉店。





一時文化財にしてされていたが紆余曲折あって取り消される。自治体にも余裕はなかったのだ。なんでも
かんでも文化財にするのは無理というもの。





1932年に開業したゴージャスホテルは閉鎖され解体。その後アニメの舞台モデルとして一躍有名になった。





本館の特徴は階段。趣のある会談が随所にある。





今のホテル建築では当然コストカットするような部位にも、一定の矜持を持って作られている。





浴場も広い。とにもかくにも風呂が大事。海外のホテルはプールを用意するが、日本は大浴場を用意する。





宴会場や客室には雅な名前がついてないといけない。数字だけの名称は味気ない。メイドじゃなくて
仲居さんが働く。





ベッドもいいものだが、部屋の広さを堪能するには和室が一番。和建築の欠点は洋式で補う。障子と
カーテンの和洋二重奏。





サッシはないけど冷蔵庫と金庫は完備。廃墟後に観葉植物まで生えた。窓の隙間から種子が入り込み、
カーペットに根を生やす。





「電話ができる」のが当たり前になった現在。昔は「電話ができる」のは特別な事だった。ダイヤル式は
「特別」の名残り。





ワープロ・パソコンの普及前は、案内パンフは印刷屋に頼むか手書きが普通だった。パソコン編集物と
手書きが共存するパンフレット。





202号室、霞。もし仙人がここに来たら部屋ごと食われてしまう危険な部屋。





量的子供差別は、子供料金という控除で相殺される。だがかかる手間は一緒なので、実際には店側の
サービスだ。それを忘れる母親たちの断罪。





妙な所に蛇口がある。畳の上に洗面台。ヘンテコ合体折衷という、日本独自の合理化。変であることより、
便利を優先した日本文化は奇妙だ。





電気炊飯ジャーとおひつと急須。生き残るもの消えゆくもの。廃墟では等価値であり、全部生き残らずに
朽ちていく。平等全滅領域。





客室はヘンテコ合体だが、事務所は割り切った洋間だ。最低コストのイスと机。でも客には和の寛ぎを
提供する。アンビバレンツサービス業。





明治の銀行受付のような重厚なフロント。「高級ホテル」という矜持はここで決まる。圧倒されない者だけが
チェックインできる。そういう敷居。





事務所も鉄壁の守り。なんでもオープンにする風潮は客と店との境目も曖昧にし、モンスター客とバイト
店員を量産する。穴は最低限でいいのかもしれない。





厚い・薄い、強い・弱い、重い・軽い。これらの対比を同居させると、重厚感と瀟洒さという高級感が
生まれる。だが非常に高くつく。豪華とはギャップの共存。





統制の取れた豪華さに、規制という横槍が入る。合法とは即ち醜悪であり、妥協という名の民主主義が、
衆愚となって襲いかかる。美と平等は相反する。





中庭という「無」。採光は電化され、開放感は防犯され、景観は遮断される。よって中庭は技術と安全の
法によって処刑される絶滅空間。淘汰されていく「無」。





人は去り、神は残る。信仰を失った神は衰退する。日本の神は常に人と共にあり、「絶対神」などと驕らない。
人なき処に神無し。日本人が消えれば天皇も消える。





出勤簿。食べ物を毎日1日中探す野生生活から、週に1度は休める生活になった。その進歩は1/7。週休
二日で2/7。1000年で1日休息日が増えている。





遅刻・早退・ズル休み監視装置。罰則を与えるための記録。奴隷管理カード。生物は体調を完全管理できる
というオカルトに基づいている。





フロッピーという大容量記録装置は、あっという間に物足りないものに落ちた。サイズも8インチ→5インチ→
3.5インチと小型化した。値段も急激に下がった。





営業時の威風ある景観。湖上の宮殿。詳細は大人の事情で公開できない。





客室や大広間に注目して廃墟と比較すると楽しめる。お風呂にも注目。





世界を制するのは浴場を大切にする民族。かつてのローマのように。今世界を制する資格があるのは
日本だけだ。シャワーやサウナだけの連中は隷属するのみ。





風呂は大事にせよ。清潔だけではない。風呂を文化にできるか、個々人がそれを求められる。応えられる
者が多ければ、その国は栄える。応えられているだろうか?





仙人専用。俗界の者立ち入り禁止。衣服を脱ぎ去り、俗を忘れ、明鏡止水の心情で、恍惚の域に達せよ
という御触れ。




板張りの階段に赤いカーペット。そこに無粋なスベラーズ。サッシ以前の窓。天井には忍者専用の穴。





本館の宴会場。天井についた角度。揃えられた照明と空調。そして採光。宴会とはエンターテイメイント。
だからステージがある。余興のない宴会は無意味。





廃墟は重力に素直だ。落ちるべきものは落ちる。椅子の向きはソリッドからリキッドへ。もう少し温度が
上がると自由に動き出す法則。





ホールにこだまするやまびこ。山に住んでるモノマネ芸人。なぜそんな事をするのかは21世紀の現在でも
不明。その姿も目撃されていない。





麺類しかない味処。飯は炊かない主義。コーラ1杯500円。現金販売なし。フロント清算なので、あとで
ビビる演出。心憎い。





洋間のなんちゃって暖炉はなんちゃってグレース風。床はなんちゃって大理石。それでも漂う高級感。
レースのカーテンは本物。





和室上層からの眺め。部屋から外を見るという趣向。天下を取ったかのような錯覚。仮初めの城主。
そんなエンターテイメント。





猫が高いところに居たがるのもわかる気がする。見下ろすという安心感と優越感。支配の象徴。遠望の義務。
いずれにせよ気持ちがいい。





宴会場は、それは豪華だった。来るべき所に来るべき者が来る。来るべき者が減って来るべき所が廃れる。
社会主義に贅沢はいらない。





高貴な客を失った貴賓設備は庶民に提供されず、ただプライドを持ったまま立ち腐れて行く。どうせ庶民は
使い方を知らない。それが正しい廃墟の成り様。





突然資産を失った貴族の娘の悲哀。在りし日の優雅から現実の身売りに目を向けるより、死んだ方がましだ
という美学は、確かにあるのだ。






TELコメント:

由緒正しく、見目麗しく、そして人為的破壊に蹂躙された巨大物件。

そしてついにはアニメ化。

今後、ここまでの物件は出てこないかも知れない・・・と、個人的に思います。





pcfxコメント:


残留物の写真がわりと多かったんだが、地名店名があちこちに書いてあるため修正作業が面倒すぎて

掲載しなかったもの多数。修正し掲載したものも、あんまり煩雑な修正作業にイヤ気がさして大雑把な

修正に。今回えらい写真が多くて選ぶだけでも大変だった。これでもかなり候補から削ったのだ。

全部見せるよりも、見せたいものだけ見せたい。語りたい事だけ語りたい。そんな偏屈。



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