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カコスミの沿革 1
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1985年〜2004年まで カコスミができるまで
カコスミの結成前、そもそもTELとYOCHIは高校の同級生、TELとpcfxは同じ頃に名古屋市内で知り合った友人という
関係だった。元々はTRPGやアーケードゲーム、ゲームソフトなどで繋がったゲーム仲間だった。
SFCで発売された過去の棲家ADVソフト。売上25億本を狙ったが一本も売れなかった。開発はpcfx。
わりと面白かったと好評だったが、市場に出なかったため売れることはなかった。本格ミステリーアクションRPGシューティングADVと盛り込み過ぎてわけがわからないゲームに。
高校を卒業して大学生の年頃になると車の免許を取るようになる。そして車を乗り回すようになる。
ほどなく、名古屋あたりでは有名な「伊勢神トンネル」「古虎渓ハウス」と呼ばれる「心霊スポット」に足を運ぶようになった。
カコスミの代表であるTELは、車の免許を取るやいなや「ドライブキチガイ」となり、心霊スポットをはじめ夜景スポットや峠
などを走りまくり、その勢いで某車メーカーのオフィシャルチューニングを受けるドライバーにまで突き進んでいった。
そんなTELが夜な夜な心霊スポットなどを探しまわるドライブに、YOCHIやpcfxが付き合うようになったのが、カコスミの
原型になっていった。
2000年代に入り、世の中に「廃墟探索」という趣味があるというのを、TELが嗅ぎつけてきた。それまでも廃墟には
出入りしていたのだが、改めて「廃墟探索」というくくりを認識したのがこの頃だ。
だが、その頃の我々はまだ、心霊スポットめぐりと廃墟めぐりに明確な差異は見出していなかったとおもう。
その頃から、それまで「行って帰ってくるだけ」のキチガイドライブに、「写真撮影」という新たなミッションが追加された。
それが2002年〜2004年頃。適当なコンデジを持って適当に撮り、なんか写ってればラッキーくらいの撮影だった。
海外放浪中のpcfx。コルカタから時計回りでインドの旅が始まり、長い時間をかけてインド亜大陸を一周した。
2004年の年末頃、pcfxが長いインド旅行から帰ってきた日にTELから電話が入り、学校廃墟に行くことになった。
これがカコスミとしての最初の「自覚的な廃墟探索」となった。
年の瀬までの間にいくつかの廃墟を撮影して回り、キチガイドライブ中にサイト制作の話が出来上がっていった。
pcfxはその頃、とある海外旅行サイトを作っていたので、廃墟サイトもpcfxが作ることになった。
その頃はまだ心霊スポット探索と廃墟探索が未分化だったため、当初のサイトデザインはホラー風になっていた。
人を威かすような仕掛けをしたり、暗いオルゴール音楽をBGMに流したりしていた。
公開直後からわりとアクセスが多く、その頃に利用していたホームページサービスの転送量を何度もオーバーするので
FC2に引っ越すことになった。
公開物件も増え続け、何度かサイトデザインを変更していくうちに、2ちゃんねるのようなフレームのスタイルに落ち着いた。
以降、ver.野菜炒めまでそのスタイルが続くことになった。