過去の棲家ver.ぴゅーらっくす 2013/03/15 UP
物件名 |
OMY山荘 |
探索日 |
2006年11月 |
廃墟開始 |
1996年以前 |
分類 |
宿泊研究施設 |
規模 |
中規模2階建て |
丘の上に聳える山荘。後に研修センター。コンクリのアーチがバブル建築を彷彿とさせる。
実はこの物件、前にもアップしたような気がしてならない。TELは上がってないという。モヤモヤしてる。
コンクリ打ちっぱなしはバブル建築の象徴。この建物もその頃建てたのか。コンクリは美しくはない。
エントランスにはステンドグラス的ななにか。非常口の表示がダサさを増強する。安全という名の利権。
振り返れば、この通路やアーチは非日常への道程。気分の醸成という余裕。
受付カウンターの内部にはいろんなものが散乱。なんかすごいのがあるな。
金庫をひっくり返して、バーナーで焼き切るという荒業。金目の物なんか残していくわけがなかろう。
丘の上だけあって眺めは非常によい。穏やかな海と森が見える。椅子は笑っていない。
宿泊料はビジネスホテルより高い。研修用の4人部屋は半額扱い。飯付きプランもあったようだ。
併設のレストランのメニュー。カレー¥500。値段はごく普通。場所としては安い部類か。
旅人ノート。女子高生が年末に来ていたようだ。*但し昭和57年の女子高生(1982年)
断食道場帰りのオッサンも来ていた。字が若い。当時昭和59年(1984年)
1982年の高校生か。気に入ったら連絡してやってほしい。たぶん今47歳だが。
1982年の年齢詐称主婦の愚痴。左は当時の最先端男子ファッション。
1982年のオタ絵。どう見ても少女漫画です。本当にありがとうございました。「オレのこい人」らしい。
とある団体の宿泊料金記録。生徒はカレーとジュースだけ。教師は宴会。
曇天の下、コンクリ廃墟に終末の風貌。人類の存在が残した人類不要の石碑。
廃墟名物「後付けエロ本」。家庭に持ち込めないリビドーの発露。放出される精子のように廃墟に放出。
DVDは見れないが、せめて印刷された裸体は拝みたい。そういう哀しさ・いじらしさ。ネット時代に絶滅。
客室から見えるのどかな風景。何もないものを見る窓。何も見たくない目玉。盲の安楽。
廃墟に伸びる通路には希望がない。だが絶望もない。全部終わってしまって、追うものも行くところもない。
田んぼを見て入る風呂。農民に見せつける陰茎。双方の間抜けさがリラックスを生む。
割れるものは全部割るDQN。壊せるものは全部壊すDQN。小心の裏返しとしての破壊衝動。
女風呂の脱衣場。その昔、ここで大勢のうら若き娘が自ら進んで全裸になったという特殊空間。
普段壊れる気がしない陶器の洗面台も、割れるという事実を知らしめる廃墟。
女風呂でも農地に向かって全裸ビームを放った豪の者もいたであろう。
併設レストランの厨房。和食の料理人がいた形跡がある。包丁一本職人渡世。
作りから見て、オープン時はそれなりのお値段の料理を出していたのだろう。研修センターでは食堂。
大部屋。畳はもうないが、無論ここで枕投げ合戦が行われたであろう昭和の時代。
白く見える壁も、一枚剥がせばこの通りコンクリ。皮膚の下の顔という素顔。
若い宿泊客には隠れられる場所が必要だ。ロクなことはしないが、それが人の営みそのもの。
眺望というエンタメの必要性。あってもさほど見ないが、ないと窮屈。そういうわがまま展望台。
客室に差し込む光は、今は直接飛び込む。割れ窓も今では浴びる側。全部終わった物語。
終わった空間を後にして、まだ生きている我々は帰らねばならない。終わってない現実へ。
遠征中に立ち寄った、とある廃墟からの脱出。ここはいいところだった。
TELコメント:
割と有名な心霊スポットとなっている物件なのだそうです。
以前は小洒落たデザインの外見の中に残留物を豊富に内包する生々しい物件だったようですが、探索当時は
片づけられた後なのかあまり物の無い乾いた廃墟となっております。
開放感あふれる眺望が素晴らしい立地にある事から、物件に関係なく普通にいらっしゃる方がいるようです。
当日も私共の趣味とは無関係な、眺望目当ての方と遭遇して普通に世間話をしました。
pcfxコメント:
なんかど〜〜〜しても、前にアップした気がするんだが。リスト見てもそれらしいものはないが、そういう疑念が
拭えない。写真編集してても、同じ編集を以前やってた記憶があるし。どういうことだ。
まあもう作っちゃったからいいや。載っけとく。