過去の棲家ver.ぴゅーらっくす 2013/03/19UP
物件名 | レストK・HKセンター |
探索日 | 2006年3月 |
廃墟開始 | 1981年と推察 |
分類 | 飲食店・土産物屋 |
規模 | 小規模 |
魚の美味しい地方に、レストランと土産物屋が昔、あった。
特産物は変わってないが、道路が変わった。物流が変わった。人が変わった。
低性能カメラが捉えた闇に、粒子の荒い像が浮かび上がる。
エビとカニと貝はうまい。昔からうまい。山の民がそれを知ったのはここ100年の事。
出かけたら土産を買う。干物ならいいが、生は持ち帰りにくい。買ったらすぐ帰らなければ。
内装には金をかけてない。その分サービスと価格で勝負だったのか。
冷蔵した加工食品を本場で買うという行為には、矛盾もあるが道理もある。
団体さんもやってきた。旅行代理店が斡旋して客を流す支配構造。知られないと客もこない。
○○ガニという匿名の蟹が名物。焼いても茹でてもうまい。キチン質の破壊衝動と食欲の充足。
朝っぱらから海産物を食う。その醍醐味は体験したものでないとわからない。無論昼も夜も魚。
極力経費を削減したのか、センスが学芸会で止まっているのか、修飾にはそこがハッキリと出る。
観光バスの運転手やバスガイドは別室で飯を食う。彼らの食事も客が払う。見えない所で。
「便所」という名前から「お手洗い」を経て「化粧室」へ。欺瞞と隠蔽の功罪を問う人は少ない。
魚介類も冷やすがアイスも冷やす。一年中冷え冷え空間。電気代も価格の内。
仕入れる時には発泡スチロールの箱に入れられて来る。洗って再利用。でも魚臭い。
ついでに山ごぼうも売る。売れるものならなんでも売る。そういう商人魂。
ショウケースに何が入っていたのかは、今となっては謎。食品以外の土産も売ってたのだろう。
レストランと土産物屋は内部でつながっている。レストランは畳敷きだったようだ。
大抵のレストランの厨房は昼時にてんやわんやになる。まさに手に手にわやわや。手に余る無理。
昼時にてんやわんやにならない飲食店は哀しい。そしてまもなく潰れる。てんやわんやが飲食店の本体。
肝心なメニューが破れてしまっていいる。でも海産物が関係ないメニューに思える。
○○名産のするめ。つまり沖でイカ漁をしているということ。紅茶の茶漬けという土産もあったようだ。
観光バスがオバチャンを大勢乗せて到着し、ここでブヒブヒいいながら飯を食った。そういう観光。
当店自慢のかに釜めし。客の前で自慢するだけ自慢して出さないという手もある。
ご丁寧に手提げ金庫は開けられ、レジも開けられていた。一応確認したい人々。
浴衣来て透明な砂浜まで来て、飲むのは缶コーヒーという文化。ロシアのルドルフ殿下もインスタント。
リス説やかしわ餅説もあったが、かくしてその実態は、いかの丸焼。もう写真は信用出来ない物になった。
TELコメント:
今は昔となった探索当時の記憶がアレですが、当時の自分が残した記録と同行者と話をして蘇った記憶により
コメントしようと思います。
廃墟化→無法者が解放→戸締り厳重化→無法者解放→と言った良くあるローテーションを
経ている様子で、当然内部は荒らされております。
荒らされてはいますが、当時の残留物を豊富に内包しており、なかなか生っぽい空気感がステキな物件でした。
pcfxコメント:
TELの内輪向け情報によると、この物件は理由もなく塩漬けになってたらしい。それって「忘れてた」という事じゃ
ないのかと問い詰めたい。物は言いようとはTELの事だ。