カコスミの沿革 2
初代 過去の棲家の頃
2004年12月25日、酔っ払ったpcfxは無料webサービスをやってる所を探していた。ノリで決めてweb作成ツールでアップロード。
カコスミ開陳の瞬間である。物凄くテキトーだ。
この頃のカコスミは、物件を探しまくってそこに行きまくって写真を撮りまくっていた。連日連夜廃墟、廃墟、廃墟である。
そして物件の情報に飢えていた。廃墟探索を始めたばかりでコネもなく、ネットを探したり田舎を走り回って情報をかき集めた。
当時はまだ物件の場所を秘匿するという習慣はネットに根付いておらず、そのものズバリの名前や場所が大らかに載って
いた。それらを参考にして足がかりにし、心霊サイトをやってる人などと合同したりして行動範囲を広げていった。
カコスミは名古屋を起点にしているので、当然交友は東海地区から始まっていく。下部組織も作られた。
そのうちに廃墟情報も順調に集まり出し、開始1年目には行ききれないほどの情報に溢れるようになっていた。
当時のカコスミは廃墟の都道府県・市町村名までは公開していた。付き合いのある廃墟探索者や心霊サイトの方とも
情報交換を行っていた。
初期のカコスミの再現。だいたいこんな感じだったが、毎回のようにデザインを変えていた。
ロシア語版のカコスミ。当時ロシアでの人気が高く、ロシア語でのコメントの要望が多かった。
だがしかし、ここでおかしな事が起こり始める。我々が廃墟に入って写真を撮っていると、心霊サイトの中の人はロウソク
に火をつけたり線香を並べたりし、僧侶でもないのに念仏を唱えたり、自称陰陽師という人が奇怪な行動をはじめたり
するのだった。その頃は我々も心霊については理解しようと努めていたのだが、廃墟で火をつけてそのまま帰ろうと
するなどという、一般常識では考えられない行動を目の当たりにして、徐々に心霊関係の人とは距離を置くようになった。
また、廃墟探索者や心霊関係同士で男女がくっついて痴話喧嘩をおっぱじめる。その痴話喧嘩がサイトの書き込み
にまで及び、とある心霊サイトの中の女が、新しく付き合い始めた廃墟探索者の男ともめて、そこに前の男が登場して
三角関係の泥沼になるのをご丁寧に自分のサイトで展開していた。
我々カコスミはそんなアホな事に付き合ってられないので、彼らと絶縁していくようになっていった。当初相互リンクを
していた心霊サイトも次々にリンクを切っていくことに。
残ったのは廃墟探索サイトのリンクだったが、今度は廃墟探索者同士が揉め始めた。
当時、廃墟探索者が合同で写真の展覧会や会合を開いたりしていたのだが、その主催者や周辺の人物がなぜか
廃墟探索そのものを仕切り始めた。「どこそこの物件はまだアップするな」とか、「ウチが最初にアップするのでそれまで
待て」とか、言うことをきかない探索者を呼び出して説教するなど、まさに「何様」状態である。
その仕切り屋が当時最有力サイトの某氏だけだったならば、あるいは皆敬意を表して従ったかもしれないが、実際
仕切り始めたのが半心霊サイトの求心力のない人物だったために、まとまりかけていた「廃墟界」は空中分解した。
過去の2ちゃんの廃墟関連のスレを見ていた人にはおわかりだろうが、多くの関係者が足の引っ張り合いに終始していた。
無論、その騒ぎに便乗せず、状況を苦々しく思っていた方も多かったと思われる。我々もその一つだ。彼らの醜い争い
などに全く興味などないので、もう廃墟スレを見ることをやめてしまった。我々を語る者が書き込みをしていたという
話を聞いたことがあるが、一度も書き込んだ事はない。言いたいことはサイトで語ってるので2ちゃんで書く必要も
なかった。
2006年の雑誌、月刊廃墟界4月号。3年続いた刊行も現在は休刊中。
カコスミの写真集「残留思念」。A4変形版だったため書店に並べてもらえず絶版に。
マー姉ちゃんですな。
過去の棲家と某サイトは「廃墟界の異端児」だったらしく各方面で叩かれていたが、我々はそんな事はどうでもいいので
好きなように勝手に活動していたのだった。
TELは当時、廃墟関係者のmixiに参加していたようだが、それも疎遠になっている。今現在お付き合いさせて頂いて
いる関係者もいるが、その数はごく少数だ。
さて、「廃墟関係者が集う」という事にどんな意味があるのだろうか。一般的な考えであれば、同じ趣味の者同士で
趣味を共有するだとか、情報を交換するだとかいろいろ考えられるだろう。だが過去の棲家としては、廃墟探索にも目的が
いろいろあり、目的ごとに相容れない考え方が存在するということ、廃墟の位置情報は基本的に漏らさない方針である
ことを打ち立てた以上、そのような馴れ合いの関係の間口を広げたくなかった。それが「鎖国」の理由だ。
そのようにしてTELという出島以外の付き合いを徹底的に断っていった末、初代の過去の棲家は2006年7月に
「蛸の棲家」として壺に入れて海中に沈められた。カコスミは蛸墨という煙幕によって消えていったのだ。
その後しばらく休止し、翌2007年の4月に「アタラシイ過去の棲家」として再生したのだった。